「さらば!男の悩み」診療日記
第35話 包茎手術 勝ち組への道 ~その1(包茎手術・シリコンボール画像あり)
1、包茎手術への道
一口に包茎と言っても、人それぞれの顔があるように、皮の長さ、厚さ、ねじれ具合など様々で、ペニスに対する在り方も、けしてこうでなければいけない、という決まりがあるわけではありません。形成外科や美容外科の広告を見ると、「包茎はダメだ」と言う文句が踊っていますが、わずらわしいかそうではいかの価値観だけでよい様にも思います。
ようは不備を感じた時に手術に踏み切ればよいだけで、包茎だからと活字に煽られコンプレックスを増幅し、背中を丸めて生きていく必要はありません。
包茎だからって、新幹線のグリーン車のキップ売ってくれないわけではないし、市県税をたくさん払う必要もない、喫茶店でコーヒーを頼めば、隣の人と同じものが出てきますしデパートで、エレベーターガールに入場拒否されることもありません。そうです、堂々と胸を張って生きて行けばよいのです。
このお話は、カントン包茎にもかかわらず、毎日堂々と生きてきた、いちカウンセラーが、あらゆる不備を感じ、包茎手術に踏みきった実話を、写真を交え日記形式で、お伝えする日本初?の包茎手術ドキュメントです。
手術をお考え中の方、なんとなく興味のある方、まったくそうでない方も、最後までお付き合い頂ければ幸いです。
2、自己紹介
私、名をオーと申します。年齢38歳。形成外科のカウンセラーを5年程、勤めてまいりました。18年前は、バブルの絶頂を体験した世代ですが、バブルの恩恵など何一つ受けることなく、細い体でふてぶてしく生きてまいりました。性交為を覚え、サルになったのも、その頃だと記憶しています。サルですから当然「したい。」が最優先です。自分のペニスがどういう状態なのか、全く気にとめることもなく、ただひたすら、相手をみつけては、行為に勤しむ毎日でした。
今の時代みたいにネット環境があるわけではなかったので、情報の伝達が乏しく、早漏(そうろう)と言う言葉を知ったのは23歳を過ぎた頃でした。エッチなビデオのお姉さんは「行く、行く。」と言うのに、俺の彼女は「行く。」など一言も言わないなあ。まあ別に行為の最中にわざわざ、行きたいところなどないだろう。と、まあそんな調子でした。
23歳の時に年上の女性と付き合い、その人に性の全ての教えを蒙りました。
ショックを受けたのは、自分が射精すると同じ様に、女性も行為によって絶頂に達するという事でした。「行く」ではなく「イク」というレクチャーを受け、日本語はむずかしいと、空の頭で思いながら、そこから長い年月を経てサルから人間に進化していきました。
3、包茎の原点
当時、身長は171cm体重55kgと痩せ型でした。ピーク時の体重は171cmの身長で44kgでしたから、これでもかなり太りました。ガリガリのからだは、ペニスの陰茎を露出させます。からだが急激に成長したのは中学1年の時でした。幸いな事に3本目の足も同時に成長してくれました。
元々硬派をきどっていた自分は、銭湯や温泉で前を隠す行為がとても弱々しく、逆にはずかしいものと、子供ながらに思っていました。中学1年の林間学校へ行った時、風呂場の脱衣所で仁王立ちをして以来、デカチンの商号を頂くこととなり、応援団や生徒会はデカチンの役目と相場が決まっているようで、あっと言う間にスターダムに駆け上りました。
・・・・・もちろん女子には笑われていましたけど・・・。
中学2年になり、いよいよ「やった、やらいない」の話題がチラホラと出るようになり、デカチンにもかかわらず、むけてない自分にあせりを感じる様になりました。
実は小学校6年の時、意を決してズルっとやったのですが、包皮小帯(裏筋)が亀頭についていることを目の当たりにし、何とも不気味な姿に、自分のものは奇形であると勘違いをし、それ以来ムケチンへの道を閉ざしてしまったのでした。
部活はバスケをしていました。私の学校はとても強くて、同年代はスター選手ばかりでした。そのなかでも私はエースナンバーをつけていたので、例外にもれることなく、ギャラリーから黄色い声援を頂いておりました。乾燥しいたけのような、情けない顔でしたが、バスケのエースで応援団長で生徒会でデカチンだったので、下駄箱に美人からは、年に1回、同級生からはごくたまに、好きではない下級生からはたまに、ブスからは毎日、心のこもったお手紙を投函頂くようになりました。
なにより苦痛だったのは、彼女ができる事でした。別に男が好きなわけではありません。ムケチンでないのに、どうしてセックスするんだ、という思いから、わざと女の子を避けるようになりました。
こんにち、電話相談や、来院された患者様から切実なお話のなかで、今彼女を作らないようにしているとか、30年間一人も付き合ったことない、とおっしゃる方もいますが、自分の体験から包茎を苦にし、女性から疎遠になりたい気持ちが、痛いほど分かります。
包茎手術への道(2)は診療日記36話をご覧ください。
一口に包茎と言っても、人それぞれの顔があるように、皮の長さ、厚さ、ねじれ具合など様々で、ペニスに対する在り方も、けしてこうでなければいけない、という決まりがあるわけではありません。形成外科や美容外科の広告を見ると、「包茎はダメだ」と言う文句が踊っていますが、わずらわしいかそうではいかの価値観だけでよい様にも思います。
ようは不備を感じた時に手術に踏み切ればよいだけで、包茎だからと活字に煽られコンプレックスを増幅し、背中を丸めて生きていく必要はありません。
包茎だからって、新幹線のグリーン車のキップ売ってくれないわけではないし、市県税をたくさん払う必要もない、喫茶店でコーヒーを頼めば、隣の人と同じものが出てきますしデパートで、エレベーターガールに入場拒否されることもありません。そうです、堂々と胸を張って生きて行けばよいのです。
このお話は、カントン包茎にもかかわらず、毎日堂々と生きてきた、いちカウンセラーが、あらゆる不備を感じ、包茎手術に踏みきった実話を、写真を交え日記形式で、お伝えする日本初?の包茎手術ドキュメントです。
手術をお考え中の方、なんとなく興味のある方、まったくそうでない方も、最後までお付き合い頂ければ幸いです。
2、自己紹介
私、名をオーと申します。年齢38歳。形成外科のカウンセラーを5年程、勤めてまいりました。18年前は、バブルの絶頂を体験した世代ですが、バブルの恩恵など何一つ受けることなく、細い体でふてぶてしく生きてまいりました。性交為を覚え、サルになったのも、その頃だと記憶しています。サルですから当然「したい。」が最優先です。自分のペニスがどういう状態なのか、全く気にとめることもなく、ただひたすら、相手をみつけては、行為に勤しむ毎日でした。
今の時代みたいにネット環境があるわけではなかったので、情報の伝達が乏しく、早漏(そうろう)と言う言葉を知ったのは23歳を過ぎた頃でした。エッチなビデオのお姉さんは「行く、行く。」と言うのに、俺の彼女は「行く。」など一言も言わないなあ。まあ別に行為の最中にわざわざ、行きたいところなどないだろう。と、まあそんな調子でした。
23歳の時に年上の女性と付き合い、その人に性の全ての教えを蒙りました。
ショックを受けたのは、自分が射精すると同じ様に、女性も行為によって絶頂に達するという事でした。「行く」ではなく「イク」というレクチャーを受け、日本語はむずかしいと、空の頭で思いながら、そこから長い年月を経てサルから人間に進化していきました。
3、包茎の原点
当時、身長は171cm体重55kgと痩せ型でした。ピーク時の体重は171cmの身長で44kgでしたから、これでもかなり太りました。ガリガリのからだは、ペニスの陰茎を露出させます。からだが急激に成長したのは中学1年の時でした。幸いな事に3本目の足も同時に成長してくれました。
元々硬派をきどっていた自分は、銭湯や温泉で前を隠す行為がとても弱々しく、逆にはずかしいものと、子供ながらに思っていました。中学1年の林間学校へ行った時、風呂場の脱衣所で仁王立ちをして以来、デカチンの商号を頂くこととなり、応援団や生徒会はデカチンの役目と相場が決まっているようで、あっと言う間にスターダムに駆け上りました。
・・・・・もちろん女子には笑われていましたけど・・・。
中学2年になり、いよいよ「やった、やらいない」の話題がチラホラと出るようになり、デカチンにもかかわらず、むけてない自分にあせりを感じる様になりました。
実は小学校6年の時、意を決してズルっとやったのですが、包皮小帯(裏筋)が亀頭についていることを目の当たりにし、何とも不気味な姿に、自分のものは奇形であると勘違いをし、それ以来ムケチンへの道を閉ざしてしまったのでした。
部活はバスケをしていました。私の学校はとても強くて、同年代はスター選手ばかりでした。そのなかでも私はエースナンバーをつけていたので、例外にもれることなく、ギャラリーから黄色い声援を頂いておりました。乾燥しいたけのような、情けない顔でしたが、バスケのエースで応援団長で生徒会でデカチンだったので、下駄箱に美人からは、年に1回、同級生からはごくたまに、好きではない下級生からはたまに、ブスからは毎日、心のこもったお手紙を投函頂くようになりました。
なにより苦痛だったのは、彼女ができる事でした。別に男が好きなわけではありません。ムケチンでないのに、どうしてセックスするんだ、という思いから、わざと女の子を避けるようになりました。
こんにち、電話相談や、来院された患者様から切実なお話のなかで、今彼女を作らないようにしているとか、30年間一人も付き合ったことない、とおっしゃる方もいますが、自分の体験から包茎を苦にし、女性から疎遠になりたい気持ちが、痛いほど分かります。
包茎手術への道(2)は診療日記36話をご覧ください。
投稿者 東京新宿メイルクリニック