「さらば!男の悩み」診療日記
第36話 包茎手術 勝ち組への道 ~その2(包茎手術・シリコンボール画像あり)
4、真性包茎からカントン包茎へ
話は戻りますが、中学2年の夏休み、たまたま遊んでいた友達二人とムケチンの話になり、このままではいけないことを悟った私たち三人は、剥きの儀式を決行する事となりました。友人の部屋に集結し、コーラで皮カムリ別れの酒盛りをした後、おのおのが背中を向け、散らばり、準備を整えました。「いちにのさん!!」掛け声とともに、力一杯包皮を下げ、無理やり亀頭を露出させました。「オーオー」痛いのか嬉しいのかおのおのが、叫びました。
自分としての感想は、痛かったけど、充分に我慢できるものでした。口に含んだコーラをぶっかけて消毒しようと思ったのですが、怖くて水に濡らしたティッシュできれいにし、14歳夏、ここに晴れてムケチンが完成したのでした。
5、海老男
男になりました。やっと男として生きていけます。でもすごく痛いんです。露出した亀頭が下着にすれると、電気が走るんです。私だけではありません、三人とも股間に電気をはしらせておりましたので、海老のように腰を引きながら生活をしておりました。
但しこの奇妙な格好は、同級生にはどういう意味なのか分かるようで、時には羨望の眼差しを受けておりました。海老反りしている男に尊敬の念をもって見守る男達の絵図らが、女子にはまったく分からないと思いますが、クスクス笑う姿を横目に「いつかお前達をヒーヒー言わしてやる」と強く心に誓い、海老反り生活を続けました。クリスマス前やバレンタイン前に海老反り男達が増えるのが恒例ですが、根性のなかった私は、痛みに耐えられず剥いたり戻したりを繰り返していた為、バレンタイン前に剥いた奴より長く海老反り生活を強いられました。
6、剥くのが遅かった
いきなり結論を言ってしまいましたが、14歳の春に体の成長が完全に止まりました。急激な体の変化でしたがペニスも一緒に成長してくれました。孝行息子にはとても感謝しています。
ここで大問題が発生しました。亀頭も陰茎も成長したのですが、かぶったまま包皮も成長してしまいました。この時点で真性包茎ですが、成長が止まった段階で包皮口が狭いのに無理に剥いたので、勃起時締め付け感のある軽度なカントン包茎が出来上がりました。
これから手術する38歳までカントン君と長いお付き合いになりました。メタボの体になるまでは、カントン君とは程良い関係でしたが、太ってからのカントン君の対応ときたら、それはもう周知のとおり、完膚なきまで私もイジメぬいたあげく、都合が悪くなるとすぐに頭を隠す、悪態をつき通しました。剥きの儀式を一緒にしたあとの二人は、当時体が小さかったのですが亀頭露出後に体とペニスが成長した為、理想的なムケチンとなっておりました。
7、初体験
高校3年の春、堅物な性格が災いしたせいか、すでに初体験を済ませた奴等を尻目に、より好みを続けようやく当時世界一好きだった年上の女性が初体験となりました。彼女も初体験と申しておりました。ぎこちない愛撫と極度に緊張し、震える両足を押さえながらふんばった為、潤滑油の切れたロボットのようなギシギシした振幅運動は今でも覚えています。
案の定一瞬にて行為は終了しました。約3年の歳月をかけエロ本で蓄積した、スペクトルな技を披露する事なく、タンパク質が放出されました。恥ずかしいやら情けないやらのお粗末な初体験でした。行為中に彼女は一度も痛がる素振りは見せませんでしたが、放出の瞬間抜き出した際、私の陰茎には少量の血液が付着していたので、童貞と処女が結ばれた事に一人歓喜しておりました。
ティッシュで後始末をしていると、陰茎にひどく痛みを感じました。よく見ると、陰茎中央部の包皮が横に裂けていました。出血は100%私もので、あきらかに彼女は私が始めての男ではなかったと、理解できたのに時間はかかりませんでした。
その後、包皮口が狭く亀頭を露出すると勃起時陰茎の包皮がかなりツッパリ、軽度なカントン包茎であっても激しい摩擦により、性行為の度に包皮が横に裂け出血を繰り返す結果となりました。その時の私は、サオが耐えられない程のマシーンの様な激しいピストン運動と解釈し、ディスコでは「出血する程の激しい腰サバキ」と豪語し周囲に不快感をあたえる踊りを披露しておりました。
陰茎と亀頭が露出していれば、たとえ包皮が切れても傷はすぐ乾燥し一晩寝れば、翌日の朝には回復しておりました。普通は出血に伴い異変に気づくものですが、私の場合出血により優越感にひたっておりましたので、今の職に従事するまで、不自由を感じる事なく日々過ごして参りました。
院長曰く「アホ」だそうです。・・・・・うーん確かに!!
8、三十五歳頃から
腹の出ているオッサンを見ると絶対にデブにはなりたくないと思っていましたが、夜遊びによる睡眠不足と、夜間に摂取する超高カロリーと、ピンクチラシの甘い誘惑にまんまとハマリ、ありとあらゆる不摂生の甲斐あって、ポッコリ腹の出たオヤジになってしまいました。但し、私の場合単に太ったと言う感じではなく、胃から下腹部だけが異常に脂肪が溜まっている状況で、言うなれば通販のダイエット器具などに出てくるbeforeのガイジン版と言ったところでしょうか。見た目はとくに格好悪いですがそれにも増して極端に変化したのはペニスの見栄えでした。
包茎手術への道(3)は診療日記37話をご覧ください。
話は戻りますが、中学2年の夏休み、たまたま遊んでいた友達二人とムケチンの話になり、このままではいけないことを悟った私たち三人は、剥きの儀式を決行する事となりました。友人の部屋に集結し、コーラで皮カムリ別れの酒盛りをした後、おのおのが背中を向け、散らばり、準備を整えました。「いちにのさん!!」掛け声とともに、力一杯包皮を下げ、無理やり亀頭を露出させました。「オーオー」痛いのか嬉しいのかおのおのが、叫びました。
自分としての感想は、痛かったけど、充分に我慢できるものでした。口に含んだコーラをぶっかけて消毒しようと思ったのですが、怖くて水に濡らしたティッシュできれいにし、14歳夏、ここに晴れてムケチンが完成したのでした。
5、海老男
男になりました。やっと男として生きていけます。でもすごく痛いんです。露出した亀頭が下着にすれると、電気が走るんです。私だけではありません、三人とも股間に電気をはしらせておりましたので、海老のように腰を引きながら生活をしておりました。
但しこの奇妙な格好は、同級生にはどういう意味なのか分かるようで、時には羨望の眼差しを受けておりました。海老反りしている男に尊敬の念をもって見守る男達の絵図らが、女子にはまったく分からないと思いますが、クスクス笑う姿を横目に「いつかお前達をヒーヒー言わしてやる」と強く心に誓い、海老反り生活を続けました。クリスマス前やバレンタイン前に海老反り男達が増えるのが恒例ですが、根性のなかった私は、痛みに耐えられず剥いたり戻したりを繰り返していた為、バレンタイン前に剥いた奴より長く海老反り生活を強いられました。
6、剥くのが遅かった
いきなり結論を言ってしまいましたが、14歳の春に体の成長が完全に止まりました。急激な体の変化でしたがペニスも一緒に成長してくれました。孝行息子にはとても感謝しています。
ここで大問題が発生しました。亀頭も陰茎も成長したのですが、かぶったまま包皮も成長してしまいました。この時点で真性包茎ですが、成長が止まった段階で包皮口が狭いのに無理に剥いたので、勃起時締め付け感のある軽度なカントン包茎が出来上がりました。
これから手術する38歳までカントン君と長いお付き合いになりました。メタボの体になるまでは、カントン君とは程良い関係でしたが、太ってからのカントン君の対応ときたら、それはもう周知のとおり、完膚なきまで私もイジメぬいたあげく、都合が悪くなるとすぐに頭を隠す、悪態をつき通しました。剥きの儀式を一緒にしたあとの二人は、当時体が小さかったのですが亀頭露出後に体とペニスが成長した為、理想的なムケチンとなっておりました。
7、初体験
高校3年の春、堅物な性格が災いしたせいか、すでに初体験を済ませた奴等を尻目に、より好みを続けようやく当時世界一好きだった年上の女性が初体験となりました。彼女も初体験と申しておりました。ぎこちない愛撫と極度に緊張し、震える両足を押さえながらふんばった為、潤滑油の切れたロボットのようなギシギシした振幅運動は今でも覚えています。
案の定一瞬にて行為は終了しました。約3年の歳月をかけエロ本で蓄積した、スペクトルな技を披露する事なく、タンパク質が放出されました。恥ずかしいやら情けないやらのお粗末な初体験でした。行為中に彼女は一度も痛がる素振りは見せませんでしたが、放出の瞬間抜き出した際、私の陰茎には少量の血液が付着していたので、童貞と処女が結ばれた事に一人歓喜しておりました。
ティッシュで後始末をしていると、陰茎にひどく痛みを感じました。よく見ると、陰茎中央部の包皮が横に裂けていました。出血は100%私もので、あきらかに彼女は私が始めての男ではなかったと、理解できたのに時間はかかりませんでした。
その後、包皮口が狭く亀頭を露出すると勃起時陰茎の包皮がかなりツッパリ、軽度なカントン包茎であっても激しい摩擦により、性行為の度に包皮が横に裂け出血を繰り返す結果となりました。その時の私は、サオが耐えられない程のマシーンの様な激しいピストン運動と解釈し、ディスコでは「出血する程の激しい腰サバキ」と豪語し周囲に不快感をあたえる踊りを披露しておりました。
陰茎と亀頭が露出していれば、たとえ包皮が切れても傷はすぐ乾燥し一晩寝れば、翌日の朝には回復しておりました。普通は出血に伴い異変に気づくものですが、私の場合出血により優越感にひたっておりましたので、今の職に従事するまで、不自由を感じる事なく日々過ごして参りました。
院長曰く「アホ」だそうです。・・・・・うーん確かに!!
8、三十五歳頃から
腹の出ているオッサンを見ると絶対にデブにはなりたくないと思っていましたが、夜遊びによる睡眠不足と、夜間に摂取する超高カロリーと、ピンクチラシの甘い誘惑にまんまとハマリ、ありとあらゆる不摂生の甲斐あって、ポッコリ腹の出たオヤジになってしまいました。但し、私の場合単に太ったと言う感じではなく、胃から下腹部だけが異常に脂肪が溜まっている状況で、言うなれば通販のダイエット器具などに出てくるbeforeのガイジン版と言ったところでしょうか。見た目はとくに格好悪いですがそれにも増して極端に変化したのはペニスの見栄えでした。
包茎手術への道(3)は診療日記37話をご覧ください。
投稿者 東京新宿メイルクリニック